2020-12-14
アイリッシュ【0036夜】コニャックのヘネシー社がつくった一度だけのウイスキー
コニャックの雄であるヘネシー社が、一度だけウイスキーを造ったことがある。それもアイリッシュウイスキーだ。ヘネシー社がリチャード・ヘネシーによってコニャック市の、シャラント川の畔に築かれたのは1765年のこと。リチャードは南アイルランドのコークの出身で、貴族の出といわれているが、長く続くイングランド支配に将来への希望を見出せず、当時のアイルランドの若者がそうしたように、フランスの傭兵に志願し、海を渡ったという。
各地を転戦したリチャードがコニャック市にやってきて、そこでコニャックと出会い、傭兵で得た資金を元手にヘネシー社を興したという。以来、現在まで8代にわたるヘネシー家の男たちによってメゾンは運営されてきたが、1990年代後半にそのヘネシーが初めてボトリングしたのが、「ナジェーナ」というアイリッシュウイスキーだったのだ。
理由はヘネシー家の故郷がアイルランドだったからだが、もうひとつあって、それまでは造りたくても造れなかったという事情もある。1980年代まで、アイリッシュの蒸留所は北のブッシュミルズと南のミドルトンの2つしか存在していなかった。しかも、どちらもヘネシーにとってライバルだったフランスのペルノリカール社が所有している。やはりペルノ社には頼みにくかったのだろう。そこへ第3の蒸留所が登場する。それが1987年に創業した(蒸留は89年から)クーリー蒸留所で、ナジェーナはこのクーリーのモルト原酒を使って造られていた。表記はピュアモルトになっていたが、ノンピートの2回蒸留のクーリーの原酒である。
ナジェーナはゲール語で『永遠の渡り鳥』の意味である。これは傭兵を指す言葉だが、英語ではワイルドギース(野生の雁)という。まさにヘネシー社を創業したリチャード・ヘネシーのことで、故郷を遠く離れてフランスに根をおろした先祖への思いが込められたウイスキーだった。残念ながらボトリングは一度きりで、今では幻のウイスキーとなっている。
ヘネシー社の前を流れるシャラント川。ルイ14世の祖父で、ブルボン朝の創始者でもあるアンリ4世は、シャラント川を「フランス一美しい川」と称えたといわれている。 一覧ページに戻る