2020-11-04
スコッチ【0013夜】竹鶴ノート100年とヘーゼルバーンの超レアボトル
今年は竹鶴政孝がスコットランドから帰って、ちょうど100年となる。竹鶴が摂津酒造からスコットランド留学を命じられたのが1918年で、その年の6月下旬に神戸港を出航し、アメリカ経由でスコットランドに渡った。当初グラスゴー大学の聴講生となってウイスキー造りを勉強していたが、1年後の1919年12月、当時ホワイトホース、ラガヴーリンを所有していたマッキー社(後のホワイトホース社)から、キャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸溜所での3カ月の実習許可が出たため、翌1920年1月にキャンベルタウンに向かった。
竹鶴の実習は2月から4月まで続いたが、その時の成果をまとめたのが、有名な『竹鶴ノート』だ。大学ノート2冊にヘーゼルバーンのウイスキー造りについて、製造から樽詰め、そして販売方法まで、こと細かに述べたもので、これが日本のウイスキーのすべての原点となった。そのノートが書かれたのは1920年5月のことで、つまり日本のウイスキーにとっても、今年がちょうど節目の100年となるのだ。
ところでヘーゼルバーンは当時キャンベルタウンで操業していた14の蒸溜所の中で、最大規模の蒸溜所で、多くはホワイトホースなどマッキー社のブレンド用だったが、それ以前は少量ながらシングルモルトも販売していたと思われる。下の写真はミレニアム前後にグラスゴーのオークションに出品された超レアボトルで、中央がそのヘーゼルバーンである。マッキー社が買収する前のソーン社時代のもので、おそらく19世紀後半か20世紀初頭のボトリングと思われる。
その左隣はさらにレアで、これも同時期にボトリングされた、同じキャンベルタウンのロングロウで、現存する唯一のボトルかと思われる。そして右はマッキー社が所有していたアイラ島のラガヴーリンだ。100年前の竹鶴政孝は、こんなボトルを飲んでいたのだろうか…。
写真は、左から『ロングロウ』『ヘーゼルバーン』『ラガヴーリン』 一覧ページに戻る